古事記(上巻=神代編)を読む#1

 

その1(兄弟の国土創生)

天地がはじめて姿をみせ、成り出でたもろもろの天つ神のなかから、イザナキ(兄)、イザナミ(妹)に「この漂っている地を固めるように」と委任される。二人は結婚し、生まれた子供が淡路島であり、そののち四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州(以上あわせていわゆる大八洲)を次々生む(というか作る)。

このあとさまざまなものを生むが、火の神カグツチを生んだときに火傷をしてイザナミは死んでしまう。(死ぬというのではなく(天つ神は死なない)、神避りたもう、という。)

イザナキはイザナミを忘れがたく、黄泉の国まで会いに行くが、追い返される。

黄泉の国から戻って禊(みそぎ)をした時に、左目からアマテラス、右目からツキヨミ、鼻からスサノヲが生まれる。

 

その2(高天の原の姉と弟)

アマテラスは高天の原、スサノヲは海原の委任統治をするようになったが、スサノヲは仕事をしないので、イザナキはスサノヲを天界から放逐することにする。お別れの挨拶にアマテラスを訪問したスサノヲであったが、そこで暴れてしまい、恐れたアマテラスは天の岩屋に閉じこもってしまう。そこでアメノウズメのストリップとアメノタヂカラヲの力技でアマテラスを外へ引っ張り出し、そののちスサノヲを放逐する。

このダンスの時に使われた八坂の勾玉ヤタの鏡が「三種の神器」の2つです。いわばスポットライトとミラーボールですね。

 

その3(文化英雄の登場)

スサノヲは出雲へ降り、ヤマタノヲロチを退治してクシナダヒメを娶る。ヤマタノオロチの体内から出てきたのが草薙の太刀(ヤマトタケルで有名、熱田神宮の御神体)で、アマテラスに献上されて「三種の神器」の1つになります。スサノヲの六継の孫がいなばの白兎で有名なオホクニヌシです。オホクニヌシは紆余曲折の後、スサノヲの生太刀と生弓矢と娘スセリビメを手に入れ、葦原の中つ国(高天原に対抗する地上の国)の主になります。

 

その4(求婚と嫉妬の物語)

オオクニヌシは色事の天才でもあって、浮気が絶えなかったが、結局は睦まじく暮らした。

道祖神で男神女神が抱き合っているのがあるが、この夫婦がモデルです。

オオクニヌシの御世は15代続いた。

 

その5(天つ神と国つ神)

あるとき、唐突にアマテラスが葦原の中つ国は自分の息子オシホミミの治めるべき国である、と言い出す。(覇権主義ですね。浮気と嫉妬といい、神さまも人間もそう変りはないようです。)

ところがその息子は、あの国を綺麗に平定してくれなくては自分は降りていけない、などと情けない奴なんですよ。いわば、女社長の甘ったれ二代目です。そこで他の神様(タケミカヅチなど)が平定にあたるが、オオクニヌシはこの時は隠居していたので、その息子のタケミナカタの説得に時間がかかる。(結局タケミナカタは諏訪に隠棲させられ、諏訪神社の御祭神となる)。

オオクニヌシは出雲に大社(天皇の住む宮殿と同じ大きさ)を作ることを条件に国譲りする。これは代々朝廷の義務として引継がれていく。

 

その6(天孫の日向三代)

平定に時間がかかったので、アマテラスの息子には子供が出来ていて(仕事は出来ないが手は早い)、この子供(アマテラスの孫)に三種の神器を持たせて高千穂へ降ろすことにする。いわゆる天孫降臨、孫の名をヒコホノニニギといいます。ニニギはコノハナサクヤヒメと一夜の契りを結び、生まれた子供がホデリ=海幸彦ホヲリ=山幸彦です。(たった1回で出来るはずがない、おれの子供ではない、などと吸った揉んだが書かれています。人間くさいですよ。)ここからは例の山彦が海彦の釣り針を失くしてしまう物語で、トヨタマヒメ(ワタツミの一族)が山彦に協力して、覇権が確立する。

山彦とトヨタマヒメの孫がカムヤマトイワレビコ神武天皇となるわけです。

つまり神武天皇はイザナキの子であるアマテラスの孫(ニニギ)の曾孫ということです。

 

古事記(全3巻)の上巻=神代編はここで終り

 

その7(征服する英雄)

イワレビコ(神武天皇)と兄イツセは東征を開始する。奈良西部でのナガスネヒコとの戦いで兄は死んでしまうが、天界のサポートを受けながら(ヤタガラスなどいろいろでてきます)平定し、畝火の白檮原(かしはら=現橿原神宮=御祭神は神武天皇)に宮を作る。

さて、次は嫁娶りであるが、トイレの最中に犯すなどますます人間くさいエピソードが語られつつ、結局イスケヨリヒメを娶る。イワレビコが亡くなると先妻の子タギシミミがイスケヨリヒメを妻にして、腹違いの3人の弟を殺そうとするが、イスケヨリヒメは妻より母の立場をとって陰謀を子供にもらし夫を殺させる。この3兄弟の末弟カムヌナカハミミが第2代天皇すいぜい天皇である。

 

神武天皇は137歳で亡くなったということになっているが、事績が何も語られてはいないのは、後世の仮構だからとされる。また2代から9代の天皇についても系譜だけが伝えられていて(欠史8代と呼ばれる)、これらの天皇も天皇家の歴史を長くするために後に加えられたものとされている。

But、神武天皇陵は樫原市にあるとされ、明治以降も拡張・修陵は続けられている。